鎌倉彫についてABOUT KAMAKURABORI

屈輪文大香合

鎌倉彫が作られるようになったのは、今から800年程前、源頼朝が鎌倉に幕府を開いてからのことです。
武家政治の中心となった鎌倉は、中国の宋から伝えられた禅宗が広まり、建長寺・円覚寺をはじめとする禅宗寺院が数多く建てられました。それとともに禅僧による中国との交流も深まり、たくさんの文物が入ってきます。そのなかに堆朱・堆黒と呼ばれる、漆を何度も塗り重ねて厚い層とし、その漆の層に彫刻を施した彫漆工芸品がありました。当時の仏師や宮大工たちは、これと同じようなものを作ろうとして、木に直接文様を彫刻してから漆を塗る方法を考えました。これが鎌倉彫のはじまりです。

鎌倉彫の歴史HISTORY OF KAMKURABORI

鎌倉時代
鎌倉幕府は武士階級の学問、思想として禅宗を積極的に取り入れるようになる。
1253年
建長寺が創建され、鎌倉彫の祖形のようなが現代に伝わる。
現存する仏具としては、獅子牡丹文透かし彫り須弥壇(重要文化財)や黒漆須弥壇(重要文化財)があげられる。
1282年
鎌倉彫教室鎌陽洞を開校。東京にて出張稽古を開始
室町時代
14世紀幕府崩壊後、関東管領時代になっても禅宗支援は続き、鎌倉の禅宗寺院は、京都五山(天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)と並んで、 鎌倉五山(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)と呼ばれるようになる。
また、禅宗文化の一環としての茶の湯文化の興隆に伴ない、香合・盆等 の茶道具の鎌倉彫が作られるようになり、これらの古典作例は、鎌倉国宝館(鎌倉市雪ノ下)や鎌倉彫資料館(鎌倉市小町)などに多く収蔵されており、現代でもそれらの文様や当時の息遣いを感じることが出来る。

伝統鎌倉彫事業協同組合 資料参照