鎌倉彫の歴史HISTORY OF KAMAKURABORI

屈輪文大香合
屈輪文大香合 三代目奴田伸岳作

全国の津々浦々、日本中の町や村、どこであってもその地方には独自の歴史や文化が刻まれています。鎌倉もそうです。
12世紀末頃、平安時代末期の源平の乱を経て、1192年に鎌倉が政治の中心地になりました。鎌倉時代です。 それ以前の鎌倉は、漁などで暮らす人々が住む所であったそうです。静かな海辺の地を政治の中心地にしようと定めた時から、政務を行なう建物や武士たちの住居、道路や商店街など、都市生活に必要なさまざまな設備を整えるのに急を要し、繁忙を極めたであろうことは容易に想像出来ます。

都市の体裁をあらかた整えた幕府が、次に力を注いだのは禅宗の導入でした。
13世紀中期に、禅僧の招聘、禅宗寺院の建立が盛んになります。
禅宗寺院には、禅宗学問に必要な書物をはじめ美術品、儀式具調度などが中国から取り寄せられていました。
その中に多くの彫漆工芸品があり、これを彫刻技術に巧みな仏師が、木でかたちづくり、彫刻し、漆塗りをしたものが鎌倉彫のはじまりであると言われています。歴史的には、鎌倉と同様、京都も禅宗文化が盛んであったため、古典的鎌倉彫の名品とされている品々が京都を中心とした寺院にも伝わっています。

鎌倉と鎌倉彫KAMAKURABORI IN KAMAKURA

鎌倉時代
鎌倉幕府は武士階級の学問、思想として禅宗を積極的に取り入れるようになる。
1253年
建長寺が創建され、鎌倉彫の祖形のようなが現代に伝わる。
現存する仏具としては、獅子牡丹文透かし彫り須弥壇(重要文化財)や黒漆須弥壇(重要文化財)があげられる。
1282年
鎌倉彫教室鎌陽洞を開校。東京にて出張稽古を開始
室町時代
14世紀幕府崩壊後、関東管領時代になっても禅宗支援は続き、鎌倉の禅宗寺院は、京都五山(天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)と並んで、 鎌倉五山(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)と呼ばれるようになる。
また、禅宗文化の一環としての茶の湯文化の興隆に伴ない、香合・盆等 の茶道具の鎌倉彫が作られるようになり、これらの古典作例は、鎌倉国宝館(鎌倉市雪ノ下)や鎌倉彫資料館(鎌倉市小町)などに多く収蔵されており、現代でもそれらの文様や当時の息遣いを感じることが出来る。

伝統鎌倉彫事業協同組合 資料参照